3.火曜日

 

今日の天気は晴れ。気持ちがいいくらいの好天である。

個人的には雲ひとつ無い青空よりも、綿飴をちぎったような柔らかそうな雲がぽつりぽつり浮かんでいる方が好きだったりする。ああ、なんてすがすがしい陽気なんだろう。

鳥がさえずり、風がそよぎ、木々がざわめき、晋悟がうるさい。

「なあ、翔。お前は青空を見て現実逃避をしている気がするのだが、気のせいだろうか」

「気のせいだろう。僕が逃避しているのは晋悟、お前だけだ」

「ひっでーなお前、お前がそんな奴だとは思わなかったぜ、この魑魅魍魎唐変撲」

「なあ、あの限定フィギュア売ったらいくらになると思う?」

「うわ、汚いぞ、お前。俺の愛しの限定フィギュアをダシに使うつもりか」

「フィギュアじゃうまい味噌汁は作れないだろうな」

「そうそうやっぱ味噌汁のダシは昆布かにぼし、ってそのダシかよ」

 晋悟は機嫌よさげに僕に突っ込みを入れる。本当に元気な奴だ。

「調子がいいな、ノリ突っ込みか。それと言っておくがまだあれの所有権は僕のだ。代金を貰ってないからな」

「明日持ってくるって信用しろよ、友達は信じるもんだぞ。『友人に不信をいだくことは、友人にあざむかれるよりもっと恥ずべきことだ』……箴言集≠フ著者ラ・ロシュフーコーの言葉だ」

「それ誰だ?」

 僕の問いに晋吾は首を横に振った。

「俺が知るかよ」

「知らないのかよ」

晋悟の無責任な名言の使い方に苦笑する。

晋吾との実りのない言葉を交わすことによって休み時間の中途半端な余暇を過ごしていたが、見覚えのある顔を見て現実に戻された。

どこで見たんだっけ?ああ、ゲームセンターだ。

昨日と同じように背筋を伸ばして廊下を定規で引いたように真っ直ぐ綺麗な足取りで歩いている彼女は、昨日とは全く違う雰囲気をまとって軽く微笑み軽く友達らしき女子生徒と話している。どうやら学校ではそういうキャラらしい。

一瞬だけ目が合ったが、彼女は横の友達と会話をしながら僕なんて人間の存在なんて一度も見たことがないかのようにあっさりとスルーした。

「ん?どうした?」

晋吾が訝しげに尋ねてきて僕は我に返った。どうやら彼女の存在によって僕のその他の活動が停止していたようだった。僕らしくもない。

僕はそれを取り繕うように隣に立つ晋悟に声をかけた。

「あれ誰だっけ?」

彼は僕に比べて遥かに社交的なので知っているかもしれないと思ったからで他意はなかったが、僕の期待に応えて晋吾は彼女の姿を見て「ああ」と言った。

「あれは二年A組の江本茜、学年トップの秀才だ。当然の如く皆勤賞だし、試験をやれば必ずトップの成績を収めるまさに才色兼備の美少女。入学のとき新入生代表として全校生徒の前で挨拶をやっただろ?覚えてないのか?」

 そういえばそんなこともあった気がする。でも僕が彼女に見覚えがあると感じたのはその時のことではない気がする。いつの事だっただろうか?

「へえ、そうなのか……ってなんでお前そんなに知ってるんだ?」

同じ学年といえどもクラスは違う。普通ならそんなに詳しく知っているはずはなかった。

ところが晋悟は胸を張って偉そうに言い切った。

「女子生徒のことなら俺に任せておけ。大概の女子は把握しているのだ」

「哀れなお前に自覚がないと困るので親切な僕は一応忠告しておくが、お前はバカだ」

「それくらい合点承知の上よ。しかしだな翔、俺らの学年ならヴラド・ツェペシュを知らなくても江本のことは知ってるはずだぞ。つまりお前が変だと言っておこう」

「じゃあ江本という人を知らずに『串刺し公』の事は知っている僕はかなり稀有な存在じゃないか」

「かもな。ところでなんで感情低温動物のお前が我が校きっての美少女優等生に興味を抱いたんだ?おっまさか恋ですか?」

晋悟が嫌な笑みを浮かべる。この手の話になると晋吾は一層饒舌になる。

「生憎ながらそういった感情は母親の胎内に置いてきたんでね」

「『友情は不変といってよいが色と恋が絡めば話は別になる』、これはシェイクスピアの言葉だったな。……お前は恋を前に俺との友情を捨てるのか!?」

「何言ってるんだ?僕はお前と友情関係を持ったことは無いぞ」

「愛のために俺と戦うことも厭わないとは……さあ、剣を抜け!遠慮せずにかかってこい!」

「一人で古めかしい設定の舞台めいたことやるな。というか声が大きいぞ」

 僕が呆れ果て、晋吾が目には見えない剣を振りかざしたとき予鈴が鳴った。

 おっと阿呆な時間は終わりだ。晋悟は放っておいて自分の席につこう。

 

 終業のチャイムが鳴る。

 ホームルームが終わって、喧騒が校舎を包む。放課後だ。

放課後になったからといって蜘蛛の子を散らしたように生徒が学校から出て行くわけじゃない。帰宅時間になって真っ先に出てくるのはバイトの時間が迫っている奴か、家でやることがある奴。それ以外のケースで早く出てくるのは学校に残ってやることも無く、友達も少なくて、成績が上の下の中途半端に真面目な奴らだ。つまり僕も含有される。

とはいっても僕はぶらぶらと歩くが何の用事も、会話する友達もいないから必然と玄関に行き着くのが早いというだけだ。ちなみにこれは言い訳。

さて、帰ってなにしよう。金曜の放課後というのはとてもすがすがしい。明日が休日だという事実だけでも僕のテンションは数割高くなる。宿題は特に無かったと思うが、数学が近いうちに小テストあるとか言ってたっけ。とりあえずそれをちょっと予習して、それからソリッドフェンサーでもするかな。

僕が駅へと続く道を歩きながらささやかな短期人生プランを組んでいると、その思考を邪魔するように僕を呼ぶ声があった。

「そこのハギノショウ」

背後で僕を呼んでいる誰かはフルネームで呼び捨てにしているつもりようだが、残念ながら僕はショウではなくカケルだ。よって人違いと判断し完璧に無視する。

そうだ、シャープペンシルの芯が無くなりそうだから、帰りにどこか寄って買っていくかな。

「ちょっと待ちなさいよ。ハギノショウ」

待てと言われて待つほど僕は親切じゃない。

更に無視して進もうとするとなんか背中にぶつけられた。あまり痛くはない。

軽い音がしてそのなんかは地面を転がったので立ち止まってよく見てみれば、至極普通の空の500ミリリットルのペットボトル。

良い子のみんなはポイ捨てしちゃいけません。地球の資源は大切に。

立ち止まりそのペットボトルを拾う僕に向かって彼女が声を荒げた。

「……ちょっと何シカトしてんのよ!?」

昨日のゲームセンターの彼女。晋吾が教えてくれた名前は確か……江本茜。シャンプーのCMに出れそうなさらさらの黒髪は肩のところで切りそろえられ、スカートは膝下から5センチ、シャツはきちんと第一ボタンまで留め、学校指定の緋色のネクタイまできっちり締めている。まさに学校のお手本どおりにきちんと整えられた姿は、誰もが認める優等生といったところだ。

僕は江本の問いに答えずに、拾ったペットボトルをやっと追いついた彼女に差し出した。

「……何よ?」

僕の行動の意味が分からずに戸惑う江本。その仕草が少し可愛らしい。

「落し物」

「私を怒らせたいわけ?」

見れば江本のこめかみに血管が浮いていて、堪忍袋が皮一枚まで切れかかっているみたいだった。そろそろ本当に怒るかもしれない。ダッシュで逃げ出そうかと迷ったが、もしそれをやったら次に会ったとき本当に殺されそうなので止めておく。

「さっきから背後で呼んでいた呼称が僕のことを指しているのならば訂正しておこう。僕はショウじゃないカケルだ」

「あら、そうなの?それは失礼」

意外とすんなり謝りやがった。それはそれでつまらない。

「それで何か用?ええと、江本さん、だったっけ?」

「あら、調べたの?」

少しだけ意外そうに江本は僕を見た。

「調べたというほどのことでもないけどね。……そっちこそなんで僕の名前知ってるんだ?まあ、名前の読みを間違えたって事は何かの書面から調べたんだろうけど」

 それに自慢じゃないが僕は他のクラスの人間に知られるほど有名な人間じゃないし、社交的な人間でもない。って本当に自慢じゃないな。まあ、僕はそういう人間だ。

「ところで昨日の事誰にも言ってないでしょうね?」

彼女の質問は唐突だった。しかしながら納得もする。今日、彼女が僕に声をかけてきた理由が分かったからだ。簡単に言えば口止めってわけだ。

「昨日の事と言うと、君がゲーセンであの坊主頭に絡まれたことか?」

「私がゲーセンにいたことよ」

「そこからですか」

この目の前に立つ優等生は体裁を気にしているらしい。別にゲーセンに行くぐらい問題はないと思うが。あ、学校帰りに行くのは少しマズイかな。

「私は君に誰にも言ってないかどうかを訊いているの」

「僕は生憎友達が少ないものでね。それに僕は言う必要を感じないことまで喋るほど口数は多いほうじゃないんだ」

 口止めをするまでもない。僕は基本的に無駄な事はしない性格なんだ。初対面の人間の趣味を言いふらすほど僕は暇人でもない。

「つまり言ってないってことね?」

「そういうこと。良かったね、目撃者が僕で。それじゃあさようなら」

「ちょっと待ちなさい」

 彼女に対する応対義務はもう果たされたと思ったのだが、まだのようだった。僕は仕方なく振り返り彼女を見た。

「なに?」

「君のせいであのゲームセンターに行けなくなったじゃない」

なぜそれを僕に言う?確かに火を広げたのは僕だが、火種を作ったのは彼女本人だ。

「そうでございますか」

「私の数少ないストレス発散の場をどうしてくれるつもり?」

 正直僕に言われても困る。とてつもなく因縁を吹っかけられている気がする。見た目が優等生だからまだマシだが、昨日の坊主頭の姿でやられたら普通に喧嘩をふっかけられているように見えるのだろう。人間見た目は大事だと痛切に感じる。

「他のゲーセンに行けばいいだろう」

「私が無理なく通える近さにあるのはあのゲームセンターだけだったのよ。それ以外だと行くだけで時間がかかるのよ?」

「……しばらく家庭用ゲーム機で我慢することだね」

「私の家には家庭用ゲーム機はありません」

「……一台も?」

「ええ、親がそういったものが嫌いですから」

江本の家庭の事情は知った事じゃないが、なんとなく彼女のゲーム事情が読めてきた。

どうやら彼女は親に隠れてゲームを嗜んでいるようで、その数少ない娯楽提供の場を僕が奪ってしまった、と彼女は考えているようだ。

なんというか……言い掛かりだ。

「携帯用ゲーム機でも買えば?」

「私は昨日アーケードでやっていたような格闘ゲームがしたいのです。携帯ゲームにはあれに似たタイトルは出ていません」

 彼女も一応は調べたらしい。しかし昨日江本がプレイしていたあのアーケードゲームに似たシステムのゲームなんてそうそう出回っていない。僕が思い浮かぶのはソリッドフェンサーぐらいなものだ。でも家庭用ゲーム機が駄目ならコンピュータゲームも駄目だろう。

「我慢する他ないんじゃないか?」

 僕は彼女の相手をすることに疲れ、歩き始めた。彼女がゲームが出来なかろうが僕に関係のない話だ。

「……君を恨むわよ?」

「勝手に恨んでくれ」

 僕は彼女を無視してどんどん歩く。

「ちょ、ちょっと待ちなさい。……待てって言ってるでしょ!」

 江本は慌てて僕の後を追ってくる。彼女の家がどこにあるかは知らないが、昨日出合った時のことを踏まえて考えると僕の降りる駅以降という事になり、あのゲーセンは学校と僕の家の中間にあるので彼女が僕に付いて来ても大丈夫という事になる。だが僕が電車を降りるまで一緒とは早くも気が滅入る。

 僕は出来る限り江本の言動を無視して先を進み、僕の後ろで彼女が何かを喚き続けるという変な情勢のまま駅までの道を歩いていった。

「ちょっと君、いつもはあのゲームセンターには来ないわよね。昨日は偶々だったの?」

 喚くネタが尽きたのか江本はいたって普通な話題を振ってきた。別に無視するほどの事でもないので手短に答える。

「イエス」

「君はゲームセンター自体にもあまりいかないんでしょう」

「イエス」

「家でゲームするわけね。家庭用ゲーム機?」

「ノー」

「ということはパソコン?」

「イエス」

「18禁ゲームとか?」

 僕はそんな風に見られているのか?そうだとしたら断固として否定する。しかしさっきから英単語一つで答えているのに、今言葉多く語ったら言い訳臭くなる。

 仕方がないので僕は英単語一つで答えた。

「……ノー」

 江本は少しだけ面白く無さそうな顔をした。

「なんだ」

「……なんだとはなんだ」

「別になんでもないわよ……じゃあオンラインゲームとか?」

「イエス」

 ……僕は一体何をしてるんだ?昨日初めて会った人間に尋問されている。まあ、少しぐらいの暇つぶしにはなるだろう。

 僕の考えを知ってか知らずか、彼女は次の質問を考えている。

「へえ、それじゃあ……」

 突然江本の言葉が途切れた。そして僕のすぐ横を歩いていた彼女の歩みも止まった。

訝しく思った僕は彼女のほうを見ると彼女はその目に少し戸惑いを浮かべ、そしてとある方向を指差した。

その細くて白い指の先を目で追う。その先にあったのは茶色い小さな塊。

僕は良くない予感を感じが無視することも出来ない。

丸まった絨毯か毛布のようにも見えるそれは、僕の予感を裏づけするかのように生物の形をしていた。

それは猫の死体だった。

江本が息を呑んだのが分かった。

僕はそれが本物であることを確かめるために傍に寄ってそれを眺めた。

茶色い毛並み、陥没したグロテスクな頭部の周囲を汚す黒ずんだ血痕。僕はそばに落ちていた木の枝を掴み、その死骸を突いてみた。生物特有の柔らかさがなく、硬くなっていた。

間違いなく死んでいるようだ。

「ねえ、これって……」

江本が僕の背後で呟いた。

「気付いたか」

猫の頭部だけが破壊されている。それにここは車が入っていくような所ではない。しかもご丁寧な事に凶器と思しき血のついた大きな石が現場にそのままだ。

「君、私の考えるところによるとこれって殺しよね?」

「君は頭が良いね。君の言うとおりこれは他殺らしい」

僕の言葉に江本は顔をしかめる。

「どうして君はこう緊張感がないのかしら?この事態を正確に把握してる?」

「君が猫の死体を見つけ、その猫は他殺だった。これで合ってると思うけど」

「なんで君は第三者の立場にいるわけ?」

「いいじゃないか。それよりもこういうのって警察に届け出たほうがいいんじゃないか?」

小型のデジカメで猫の死体を撮っている江本に僕は声をかけた。っていうかなんでデジカメを持っているんだ?

「なにそれ、私が電話しろっていうの?」

「良いじゃないか、君優等生だし」

「どう良いのかが分からないわ」

わけが分からないという表情をしつつも優等生と言われてまんざらでもない顔で江本は鞄から夕焼け色のケータイを取り出した。

「……ねえ、ケータイだと一一〇番の前に市外局番を入れなきゃいけなかったかしら?」

「さあ、知らないな。警察に掛けた事ないし。とにかくやってみれば?」

しかし江本のケータイが警察を呼び出す前に突然の声によってそれは中断された。

「君たち、ちょっといいかな?」

振り向くと紺色の制服を着込んだ公務員。簡単に言うなら制服警官。

僕は興味本位で持ち上げて眺めていた猫の血痕の着いた石と警官を見比べた。

もしかしたらこの状況、すごくマズイんじゃないだろうか?まさに最悪のタイミングというものだろう。

端的に言うならば客観的に見て僕らが猫殺しの容疑者で、現場に留まっていた現行犯というわけで、僕は生まれて初めて警察のお世話になるらしかった。

そのことに気付いた江本は顔に微妙な表情を浮かべた。

大丈夫だ。正義は必ず勝ち、真実はいつも一つで、冤罪は晴らされる。……はずだ。

 

日がとっぷり暮れた頃、白髪と黒髪が混ざり合って頭が灰色になってしまっている老刑事はすまなそうな顔をして僕らに紙コップに入ったコーヒーを手渡した。

「すまなかったね、前の事件の目撃者が君たちと同じ年頃の犯人を目撃したと言っていたからね」

「別にいいですけどね……でもあの猫の死亡推定時刻を調べればすぐにわかったじゃないですか。あの猫の死骸はすでに死後硬直がだいぶ進行してました。猫の死後硬直がどれぐらいで最高度に達するのか知りませんけど数時間はかかるでしょうね。そして僕らは午前9時ごろからついさっきまで学校に拘束されていたわけですから僕らには無理っていうものでしょう」

紙コップの中で湯気を立てている茶褐色の液体を見つめながら僕は言った。どうでもいいけどとんでもなく薄そうなコーヒーだ。

僕の物言いに刑事はしわくちゃな顔に苦笑いを浮かべて更にしわくちゃにしただけだった。

「前の事件って言いましたけど、前にも似たような事件があったんですか?」

江本は優等生の顔をして刑事に尋ねた。

どうやら僕以外の人間の前では優等生でやり過ごすらしい。嫌な使い分けだ。

「分かっているだけで前に三件起きている。もしかしたら他にもやってるかもしれんがね」

 ようするにまだ発見されていない件もあるだろうって事だろう。

「他のも同じような手口なんですか?」

「そう、どれも石のようなもので頭を叩き割っている。恐ろしいもんだよ」

 老刑事は顔をしかめて見せた。確かにあの光景は気持ちの良いものではなかった。あれを作った犯人の気が知れない。

「犯人は捕まらないんですか?」

僕らを犯人扱いしたことに負い目があるのか、江本の問いに老刑事はあっさり答えた。

「それがだね、殺されたといっても所詮は猫だしね。飼い主がいれば器物損壊で届出を出してもらえば本格的に捜査できなくもないんだが、野良猫だから飼い主もいない。それにだね、君たちも知っているようにこのところ連続斬りつけ魔が頻発している。立件できない事件よりもこちらの方をどうしても重要視せざるをえないんだよ」

 そう言って老刑事は苦笑を浮かべた。

ここは大きな警察署ではないし、署員もそんなに多くはなく人手が足りないのだろう。猫よりも人を重視するのは当たり前の反応と言えた。

「おっと、こんな時間か。君達帰ってもいいよ。手間取らせて悪かったね」

老刑事はそれだけ言うと歩いて行ってしまった。どうでもいいがはぐらかされた気分だ。

僕は紙コップに入ったコーヒーを飲み干すと、くずかごに放り投げて立ち上がった。別に悪い事をしたわけじゃないが、警察署にいるというのはなんとも居心地が悪い。さっさと帰ることにする。

「ちょっと」

帰ろうとした僕を江本が呼びとめた。まだ最初と同じ状態の紙コップを持ったままだ。

「なに?」

「これ飲んでくれない?私コーヒー嫌いなの」

そう言って彼女は手に持った紙コップを差し出してきた。嫌いなら受け取らなきゃいいと思うのだが、今更言っても仕方がないので僕はそれを受け取り、ぬるくなった黒い液体を一気に飲み干した。

それを見届けた江本は鞄を持つと立ち上がり先を歩き出した。僕も鞄を掴むと紙コップをくずかごに投げて江本の後を歩き出した。

 

警察署からの帰り道、なぜか江本は怒っていた。確かに警察から犯人扱いを受ければ腹も立つだろう。

「生き物を殺して器物損壊罪ですって?ナンセンスだわ」

どうやら江本は別の点でご立腹の様子だった。

憤然とした様子で江本は急ぎ足で歩いていく。僕はその後ろを付かず離れずの速さで歩いた。

「人間を殺せば殺人罪だけど、人間の所有物を殺しても、それを損壊したっていうだけだ。法律っていうのは人間を基準に考えられてるからね。仕方ないだろう。まあ、保護動物なんかだと他の法律が適用されるんだろうけどねぇ」

「ちょっと君」

江本は急に前で立ち止まり、僕を睨みつける。突然の事で少し寿命が縮まる。

「なに?」

「君の言い方はムカツク」

「なんで?」

「生命に対して法律を持ち出すこと自体ナンセンスだと私は言っているの。法律なんて人間が作った不細工で不正確で穴だらけのルールに過ぎないわ」

「後半は僕も賛成しよう。しかしルールは守ろう」

僕の言葉に江本はムスッとした表情を見せた。

「言っておくけど私は信号無視すらもしたことがありません」

「それは失礼」

こいつは想像以上の優等生ぶりだ。

「いいわ、予定変更です。猫殺しの犯人を見つけ出します。君も手伝いなさい」

「なんだよそれ。そんなこと警察に任せておけよ」

「猫殺しぐらいで警察が本腰を入れるとは思えないわ。だったら私がやるまでよ」

さも当然の事のように言い切る江本の言葉を理解できずに僕は聞き返した。

「あ、ちょっとゴメン。後半の方程式がよく理解できない。なんで君が猫殺しの犯人を探さなきゃいけないんだ?まさか正義が理由じゃないだろ?」

「そうね、私も正義なんて大それたことは言わないわ。そんな事を語れるりっぱな人間じゃないもの。そう……言うなれば好奇心かしら」

「好奇心ねぇ」

僕の疑わしげな視線を感じた江本は少しだけ真面目な目をして僕を見据えた。

「……ねえ、人が他の動物と一線を画しているところはどこか分かる?」

知能(インテリジェンス)だろ」

「じゃあ知能(インテリジェンス)って何?」

これは難問だ。哲学的要素すら含んでいるため僕は適当な言葉を述べて逃げる事にした。

「計算力、発想力、まあいろいろあるだろう」

僕の返答に江本は賢しげに首を横に振った。

「私に言わせれば知的探究心よ。猿は何か不思議に思っても、それについて調べ考え解き明かすことはしないわ。人は知的欲求を満足させるために本を読み、あらゆる資料を調べ、答えを捜し求めるのよ」

江本の話の意図がなんとなく読めてきた。

「あー要するに君は自己満足のために猫殺しの犯人を捜すと言いたいわけか」

「そこの君、話が早いじゃない」

 江本は満足げな表情を見せた。

「じゃあ知的欲求を満たすためにがんばってくれ。じゃあ僕はこれで、さようなら」

立ち去ろうとする僕の服の裾を江本が掴み、引っ張り戻した。どうやら逃がしてはくれないらしい。

「ちょっとどこ行くのよ。私最初に言ったわよね?君も手伝いなさいって」

「なんだよそれ!?」

「それに君は私の数少ない娯楽を奪ったのよ?それに関して責任は感じないわけ?」

 どうやら昨日の事を言っているらしい。江本はゲームが出来ないのでこの知的探求を代わりの娯楽にするつもりのようだ。なんというか変な人だ。

「あの猫の死体を見つけたのは私と君。君も警察に疑われたのよ?ほらほら、気になってきた。犯人を見つけなきゃ夜も眠れなくなったでしょ?というか不眠症(インソムニア)で死ね」

時々江本の性格が変わっているような気がする。でも僕は屈しない。

「率直に言うと嫌だ」

 僕の言葉に江本は不満そうな顔をした。そして少し思案顔で何か考えたかと思うと一つの提案をしてきた。

「……わかったわ、ゲームで決めましょ」

「ゲームってアーケードか?」

「そんな手間をかける必要は無いわ。……そうね丁度ペンと紙があるから○×ゲームでどう?」

○×ゲームとは、シビアだ。じゃんけんに負けたら勝ち目は無い。

「話は簡単よ。勝ったほうの言う事を聞く、ただそれだけ。引き分けも君の勝ち。ただし私が先手よ」

 ○×ゲームの大半は引き分けだ。つまり僕に勝機がある。それにこの勝負を受けなければ江本は諦めないだろう。

「……わかったよ」

 僕の同意を得てから江本は自分の生徒手帳に漢字の井に似た陣を書き始めた。

「まずは私」

 一手目。これは考えるまでもない。陣の真ん中、そこに江本は○を書く。

「次は君よ」

 そう言って僕にピンク色のシャープペンを手渡した。

 僕はそれを受け取り、考えた。

 どこに×を書けば引き分けに持ち込めるのか。……分からない。

 僕はテキトウに○の横、真ん中の段の右端に×を書き込んだ。

 江本は僕からシャープペンを受け取ると迷いも無く一番上の段の真ん中に丸を書き込む。そうなると江本がリーチ。僕に選択肢はなく、妨害するために一番下の段の真ん中の枠に×を書いた。

 すると江本が笑みを浮かべる。

「私の勝ちみたいね」

 え?僕は盤面を見た。江本が書いたところは一番上の段の左端。そうなるとリーチが二箇所発生する。僕が次の手で妨害できるのは一箇所のみ。つまり江本の勝ちを防げない。

 僕の負けだった。

「……みたいだな」

 僕の諦めの交じった言葉に江本はサディスティックな笑みを浮かべ、僕を見据えた。

「約束よ。猫殺しの犯人を捜すのを手伝いなさい」

男に二言はない、という言葉を言った昔の人を恨みたい気持ちで一杯になった、

 

 

841: 今日はGvGについて説明します》

 再びソリッドフェンサーの地で集められたグレイマンの面々の前で841は高らかに宣言した。

841: 前回も少しだけ教えたように基本ルールはチェススタイル。十六対十六の集団戦です。単純に言えば相手側のキングを倒したほうの勝ち。もしくはキング以外のプレイヤーを全滅させたほうの勝ち。いたって単純なゲームです》

 誰も口出しはしないで黙って841の話を聞いていた。途中で話の骨を折ると841がキレることを知っているからだ。以前に841の話を邪魔したPCは一度殺されたらしい。もちろんバーチャルに殺したのであって、すぐに生き返りはするが841は容赦しなかったそうだ。

 黙って聞く面々を満足そうに見渡した841は更に説明を始める。

841: 便宜上ポジションをサッカーと同じ名称を使います。まずFWが四人。この四人が攻撃の中心になって相手を攻めます。MFが九人。MFは攻守の両方を担当することにしてるけど、攻撃中心でも構わないと思います。それからDFが二人。キングに張り付いてキングを敵から守るので、防御力の優れた重騎士が中心になってもらいます。それとキングについては一応私がキングってことでよろしくお願いします。まあ大体こんなところですね。理解できました?》

DOOM: チェスってことだが、ビショップとかルークとかあるのか?》

 大斧を持った巨漢だった。処刑人みたいななりの男が審判(ドゥーム)≠ニはなかなか妙な組み合わせだ。

841: ないわね。名称があるのはキングだけだし、それだって大して意味はないから》

ED: じゃあアンバッサンもキャスリングもプロポーションもなしか》

 EDが分かる人にしか分からないジョークを言うが、周囲のプレイヤーに反応はない。誰もEDの言っていることが分からないのか、ただ単に無視しているのだろう。

SAMSAN: それで俺のポジションは?》

841: どうする?自薦他薦は問わず誰かやりたいポジションはある?》

Gattsu: あんたが決めてくれ》

841: いいんですか?》

BEBEO: 841が決めれば誰も文句は言わないしょ》

841: そう?じゃあ私が勝手に決めさせてもらうわね》

 などと841は言うが、実際は決めていたに違いない。案の定すぐに次のメッセージを打ち込んできた。

841: FWはガッツ、ロッキー、エド、アステリスク。MFはアシュレイ、ベベオ、サムサン、ドゥーム、1977、ジス、キューブ、シュガー、プラナリア。DFがアース、エスパー。それで私がキングで大まかな指揮を取ります》

 FWが四人。MFが九人。DFが二人。そしてキング。

 DFが少ない気もするが841は単体でも十分に強いから問題はないのだろう。それにしても僕がFWとはなんとも驚きだ。

841: ポジションごとにチームを作り、そのチームで動いてもらいます。その方がお互いにバックアップしやすいし、指示も出しやすいでしょ?》

 841はポジションを決めたときのように独断でチームを振り分けていったが、攻防のバランス、プレイの性格、親交関係などをもとに考えられた采配は、よく841がプレイヤーを見ていることに驚かされた。

 僕はEDと組む事になり、他のチームも問題なく振り分けられ、チームごとに動きの確認をし841が基本的戦術を確認していく。

 ある程度の説明が終わり、841が一人でいるところを見つけた僕は841に近付いた。

〈*: どうも841〉

841: ああアス。どう調子は?〉

〈*: まあ、いつもと同じです〉

841: 君はFWって大事な場所だからヘマしないようにね〉

〈*: はあ……でもなんで僕なんですか?〉

 なぜ僕がグレイマン同盟に必要とされ、なぜ僕がFWとして戦わなければならないのか。僕はその理由を知りたかった。841はきっと簡単な言葉で返すであろうことも分かっていたが、訊かずにはいられなかった。だが案の定841の答えは予想通りのものだった。

841: 君が強いから〉

 僕は841の答えに満足できなかった。確かに僕はソリッドフェンサーをやっているプレイヤーの中では強い部類に入るだろう。だけどEDや841、グレイマン同盟に属するプレイヤーに比べれば大した事はないはずだ。

〈*: 僕はそんなに強くないです〉

841: 謙遜なんていりません。私は君が強いからこの大事なトーナメントに君を誘ったわけ。もし君が強くないというのなら君には用はないの。使えない奴をチームに入れておくほど私はお人好しじゃないから私が要らないと判断したら即刻抜けてもらいます。他にもトーナメントに出たがってる奴は大勢いますから、代わりを探すまでもないのよ?〉

 841の言葉はギルドと言う集団を統率するリーダーらしい言葉で、現実的だった。

841: それで?できるの?〉

〈*: 最善の努力をします〉

 それが精一杯の言葉だった。僕には大見得を切るような度胸はないし、期待をむげに出来るほど冷淡にもなれない。

841: いい答えね。君は君にできることをすればいい。そうすれば結果はついてくるわよ〉

〈*: 結果が伴わなかった場合は?〉

841: そこまでだったってことじゃない?〉

 841らしい言葉だ。 

 僕はありのままの僕でしかなく、ありもしない力を出せるわけもない。いきなり眠っていた力が覚醒して世界を救う的なことが起こらない限り無理な話だ。

 それでも841は期待している。なぜかは知らないが努力する他ないようだった。